第4回九州・中高校生吃音者のつどいより
これから私の学生時代と社会人になって経験したことをお話します。私は3歳のころからどもり始めました。小学校のころから、自分の話し方がおかしいなと強く思うようになりました。特に、国語の授業の音読が嫌で人前で話すこと吃って緊張で顔が真っ赤になっていました。そんな私の小学校の頃の将来の夢は、学校の先生です。母が小学校の先生で、楽しそうだったからという理由でした。中学校になり、みんなの前で話す機会が増えました。体育委員長になり1ヶ月に1回ステージで全校の前で話すことがありました。「おはようございます」の最初の「お」がでてこず、つらい思いをしました。前日に何回練習しても本番は自分の言いたい言葉が出てこないことの繰り返しで、話すことが嫌になり自暴自棄にもなったこともあります。 この頃から、将来、吃音の子ども達に自分のような思いをしてほしくない、一緒に支えてあげたいと思うようになり先生になりたいという気持ちが更に強くなりました。そして実際に小学校で学級担任として2年間働きました。働き始める前に、保護者への電話や、授業でみんなの前で話すことが不安だったので、最初にクラスの子ども達や保護者に自分の吃音のことを話しました。「緊張すると言葉がでにくくなる。みんなに伝えたくて一生懸命話しているから待って聞いてほしい」と、自分の症状と知ってほしいことを伝えました。実際に、みんなの前でどもることが多々ありましたが、一生懸命聞いてくれる子ども達や、職員、保護者の方々に支えられて過ごすことができました。 症状は人それぞれ違うから、自分の事をみんなに伝えると自分が楽になることもあるのかなと私は思います。今は、ことばを話すことや吃音のことなどももっと知りたいと思い専門学校で勉強しています。たくさん勉強して経験をつんで、また小学校にもどり吃音や言葉に障害がある子たちを支えたいと思います。中高生の時期はつらいこともありましたが、色々な経験があってこそ今の自分があると思います。「自分はこうでありたい」と思った夢はかなえられると思うので将来なりたい夢をずっと持ち続けてほしいと思います。